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プロレス記者・鈴木健さんによる大原はじめ論


【プロレスラーが”世界”を見るということ…大原はじめの場合】

本日はサムライTV「S-ARENA」でSMASHの大原はじめと共演した。26歳でありながら今年の5月でキャリア丸7年となる彼を初めて見たのは、2006年5月にアレナ・メヒコで開催された「DORAGOMANIA」で、22歳にして伝統あるNWA世界ウェルター級のベルトを奪取した試合だった。だが、明らかにそれは家賃が高く、喜びよりも戸惑いの方が大きかった初々しさを今でも憶えている。

思えば大原のプロレスラー人生は常に期待との闘いだった。2年後には師匠のウルティモ・ドラゴンにも勝つという、ウルティモ・ドラゴンジム13期の中で誰もなし得ていないことを実現させ、スペル・デルフィン、ザ・グレート・サスケにも勝利。その後はハッスルに定着し、現在のSMASHへといたった。ドラゴンの弟子であり、TAJIRIが目にかけて育てた男、さらにこれらの実績があれば若くして高いハードルを求められるのは当然だった。

そんな大原にとってSMASH旗揚げ後は苦悩の日々が続く。初めて経験する「自分たちで団体をやっていく大変さ」が、SMASHへの愛情を深めていったのはよかったが、思い入れが強くなればなるほどその中で実績をあげられぬ現実に突き当たった。気がつけば旗揚げ戦で一騎打ちをおこない自分に勝ったKUSHIDAの方がSMASH期待の若手という目で見られるようになっていた。

そんな現状を変えたいがために、大原はスターバックの国・フィンランドへと飛ぶ。これまで体験したことがない異文化を目のあたりにし、価値観や考え方に変化が生じた。プロレスラーは、バーベルをあげるだけでは劇的な変化は得られない。それよりも環境を変え、未知なる部分を見聞した上でプロレスに投影した方がいい。

「世界を知る」とはそういうことを指す。昭和のプロレスラーが外国人の相手を呼んで日本だけで防衛戦を重ねても、そのベルトに真の意味で”世界”の価値はつかなかった。力道山もジャイアント馬場もアントニオ猪木もアメリカをはじめとする世界へ渡り、その国の文化とプロレスを体感したからこそ世界を名乗れたのだと思う。

WWEに所属した日本人大リーガーたちの発想が違うのは、そういうところから来ている。世界中をまわったTAJIRIでさえ、北欧のプロレスは知らなかった。番組内で大原は、フィンランドで体験したことをイキイキと語った。人間と自然と文明がバランスよく共存する国は、プロレスラー・大原にも大いに刺激を与えた。このあたりの話は、現在発売されている電子書籍『SMASH×SMASH No.2』でより詳しく語られているので、ご一読いただきたい。

SMASH愛があるから、大原は変わりたかった。私はこれまで何度となく「SMASHはTAJIRIが自分の創作料理を盛りつけるために欲した器」と書いてきたが、そろそろ大原も自分なりのSMASHという器がほしくなってきたはず。それは、SMASHの未来とイコールで結ぶことができる。他者から背負わされた期待のためではなく、ようやく自分が愛するもののためにプロレスがやれるのだ。

※鈴木健.txt OFFICIAL WEBSITE Ken@suzuki.txtのブログ  より、ご本人の承諾を得て転載

●4/30 SMASH16 大阪IMPホールメインイベント

 TAJIRI vs 大原はじめ

●5/1 SMASH live in NAGOYA 名古屋テレピアホール

 TAJIRI、ウルティモ・ドラゴンvsスターバック、大原はじめ

●5/3 SMASH17 後楽園ホールメインイベント

3WAYラダー&ダッシュtoベルトマッチ

TAJIRI、真琴vs大原はじめ、ジェシカ・ラブvsマイケル・コバック、リン‘ビッチ‘バイロン

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