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ドキュメント・地震からSMASH後楽園大会延期までの4日間


金曜日。オレは新宿西口14階にあるSMASHオフィスにいた。「地震?」誰かがつぶやくと同時に振動が来た。次の瞬間、尋常でない横揺れとなる。「みんな、逃げろ!」オレは大声で叫んだ。

有刺鉄線ボードを作成し会見に臨んだ朱里ちゃん。地震からほんの2時間前のことである。

非常階段。降りても降りても1階に到達しない。階段が割れかねない凄まじい揺さぶりと轟音。やっと1階に辿りつき路上へ飛び出すと、信じられない光景が待ち構えていた。

「うおおー!うおおー!」避難してきた群衆が、一方向を見上げ唸り声を発している。西口の高層ビルがグワアアーン…グワアアーンと、信じられない揺れ曲がり方をしていたのだ。それはまさに、ビルが生きてお辞儀をしているかのようだった。

と、朱里が泣き顔で佇んでいる「一瞬会社に戻ってパソコンを見たら、何かが落ちて壊れたみたいなんです…」。彼女はグッズ担当である。パソコンに保管してある3/18後楽園からの新商品データが気になり、危険を承知で一旦オフィスへ駆け戻ったそうなのだ。

朱里ちゃんのパソコン、液晶部分が全壊してしまった・・・

皆で1時間以上外に待機したが、意を決しオフィスへ戻った。ロッカーが倒れ、書類が散乱している。それでも必須の仕事をこなすと、交通機関が全て止まり帰宅できない状況になっていた。

深夜になってもやまない余震。その都度オフィスが大きく揺れる。帰宅できなかったオレと朱里と4名のスタッフ。もはや運命共同体だ。安否を気遣い、海外のレスラーたちからは次々とメールや電話が届けられた。

夜が明け、土曜日。運行再開した電車で数時間かけ帰宅した。一睡もしていなかったので気絶するように眠り、目を覚ますとまだ余震が続いていた。そうして携帯を見ると、こんなメールが届いていたのだ「後楽園が使えないみたいです」。

日曜日。後楽園は使用不可であることが確定した。「他の会場を当たろう」選手・関係者全員で各会場へ電話をかけ、足を運んだ。ダメもとで数万人規模の会場とも交渉した。例えガラガラであろうと、そんなことは関係ない。オレたちは、SMASHをやらねばならないのだ。それが使命なのだから、絶対にやらねばならないのだ。

大きなロッカーが倒れていた。写ってはいないが、床には書類が散乱している。

そうして夜になり、某会場にいい反応があった。深夜に他のイベントが入っているが、20時完全撤収なら使用可とのこと。そうすると開始時刻は16時。平日のそんな時間に無謀は承知だが酒井社長も賛同。翌日発表しようと話を進めていたのだが…計画停電実施の報道にイヤな予感を覚えた。

朱里ちゃんが作成した有刺鉄線ボードがこんなことに・・・ピンクのズタ袋は児玉愛用のカバン

月曜日。「全ての会場が節電や安全のため開催自粛へ向かう風潮らしい」。某関係者からそんなメールを受け取った矢先、再び原発が爆発した。その映像を目にした瞬間、トミー・ドリーマーの奥さんや娘さんたちの顔が脳裏に浮かんだのだった。「こんな状態で、外国人を日本へよぶわけにはいかないなあ…」。そうして、会場からも連絡があった「修復必要な箇所が見つかりました。申し訳ございませんが」。

結局、後楽園大会は5月3日へ延期となった。仕方がない。これも必ず何か意味のある途中経過だ。最後に、開催延期を発表した直後に矢郷さんから届いたメールの一部を転載させていただく。「このアクシデントは、SMASHさんが本物になれるからこそ起きた試練だと思うのです」。

海外から次々届くメールや電話。通訳の松澤さんが夜通し応対してくれた。山中さんは疲労困憊し寝ています。

オレも、そう信じる。信じろ、己を。そうすれば勇気を持てる。いま最も必要なのは、皆が勇気を持つことではないのか。そうして、自分に出来る範囲の勇気を世の中へ振りまくのだ。誰にだってできる。究極的なことを言えば、それこそが世に生を授かりし我々の使命だと思うのだ。

※本文は週刊プロレス・モバイル掲載用ですが、承諾を得て当HPにも掲載させていただきました

くたびれはて、オフィスのソファーで熟睡してしまった朱里ちゃん。

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